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2009年 04月 24日
ウェッブの専門家では無いので確かなことは言えないが、1990年代あたりからのメディア情報はかなり克明にデータベース化され、アーカイブとしてウェッブ世界のどこかに格納されていると思う。
携帯電話の普及で電話番号の暗記という行為が必要なくなり、ログの記録によって自分の過去も記録に留めずも、後で検索できる今日。 しかし1960年生まれの私にとって10代、20代の記憶をウェッブ上のアーカイブで検索するのはなかなか難しい。 昨年2008年はブラジル日系移民100周年。北京オリンピックの関心が高かったため、あまり報道はされなかったが、ブラジルでは皇太子殿下を招き盛大な行事も行われた様子。 それから30年前、高校3年生だった私は2週間に渡るブラジル旅行を経験した。 実は「ブラジル移民70周年を迎えて」と題された懸賞論文が当時の国際協力事業団(現在のJICA)によって企画され、たまたま1等賞となり、その懸賞としての研修旅行としての旅であった。 ロックミュージックにはまりこみ、それと連動していたのか定かでは無いが、70年代のカウンターカルチャーなどにも傾倒して、どこか厭世、を感じる日々を過ごしていた高校時代。 高校の国語教員(作文教育)であられた、伊藤助松先生から「細江、たまには論文でも書いてみろ」と独特の東北弁のイントネーションで誘われたのがきっかけである。 図書室の司書のようにいつも図書室で様々な書籍を紹介いただいていた手前もあり、断る理由も術も無い。 そこで石川達三の小説「蒼茫」の読書感想をもとに私なりの移民への思いを原稿にしたためた。 まさか1等入選など思うはずも無く、願いもしなかった。提出したことも忘れていたある日、伊藤先生から突然論文が1等になったことを知らされた。 今の私ならば大喜びするところだが、所詮ナルシスティックな自己欺瞞ではあるものの当時の私には自分が許せなかった。 口やスタイルでは反体制な姿勢を取りつつも、事、懸賞論文となるとそれなりに模範解答のような体をなした内容で書いてしまう・・・ 私はその場で先生に辞退の旨を申し上げた記憶がある。 学校としては名誉のあることであり、先生にとっても言葉は悪いが手柄でもある。私の知らぬところで両親を説得頂いたり、ご苦労なされたことを後で知った。 結局は日和見な性格うえ、ブラジルの研修への参加となった。 代償は髪の毛を短くし、軍事政権国家に対して政治言動、行動を行わない念書など(今思えば、単なるお約束ですが)。 しかしさすがに一般のツアーとは異なる多くの経験と現実をその旅行を通じて発見し、学んだ。 詳細は追々別の機会に記したいと思うが、アマゾン上流のマナオスからさらに車で100キロの地の日本人農場で、移民の皆さんが、やぐら太鼓をセットし、提灯を飾り、盆踊りをしている風景などを目の当たりにした時、私の心の中に「日本人のアイディンティティー・・故郷とは・・」そのような思いが、こみ上げてきた事を今も鮮明に覚えている。 大学に入り、建築に没頭しその後設計の世界に入った私は貴重な機会を頂いた伊藤先生に不義理なまま、年に一度の年賀状のやり取りはさせていただいていたものの、関った卒業生一人一人に千枚以上の賀状を書かれる先生もブラジルの話までは賀状で交わすことなく、結婚式の出席をお願いしたものの、お会いする機会は出来ず仕舞。 残念ながら今から7,8年前、突然の訃報の知らせを友人から受け、通夜の日に霊前に御挨拶をすることとなってしまった。 強い意志のもと、目標を手に入れるべく努力し、勝ち取っていく・・・ そのような思いがあまりに希薄であった懸賞論文の入選(と、記憶しているが)。 そんな自分に恥ずかしさをを感じるならば、本当にやりたいことを、しっかり自分の努力と力で手に入れなければならない。怠惰な自分への戒めでもあり、ブラジルへの旅がその原点でもあった思う。 幸か不幸か、この自分の記録はウェッブ上のアーカイブには存在しない。 伊藤先生の記憶も教員時代のままで終わっている。
by hosoe1
| 2009-04-24 12:25
| 記憶・思い出
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