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2009年 09月 06日
開催期間も終わりに近づいた坂倉準三展を観に、いざ鎌倉へ。 まずは軽く昼食ということで駅前のラーメン店、「湘南麺屋 海鳴」にてつけ麺を頂く。 ご一緒していた中村社長が空手の稽古で鎌倉に出向く際に立ち寄るお店だが、出汁をしっかりとって、油分を抑えたつけダレと喉越しの良い麺が印象的。その分しっかり味付けされた上質のチャーシューの存在も際立つ。 鎌倉といえば新橋で深夜にお世話になる「スパイスハウス PEPE鎌倉店」。 こちらも、一度お邪魔したい店だったが、時間の都合もあったので、又次回。 さすがに観光客の多い鎌倉駅界隈。 若宮大路正面の鳥居をくぐれば、鶴岡八幡宮の境内。神奈川県立美術館(鎌倉館)は八幡宮境内の中に位置する。1951年つまり終戦から6年後に開館した当美術館は坂倉準三氏によって設計された、日本で最初の公立美術館である。ここが坂倉準三展の第一会場である。 当然当時の日本に贅を凝らした高価な材料は無い。さらに立地は蓮池の脇。コストをかけず軽量化を目論んだ美術館の構造は鉄骨造。そして外壁は廉価な石綿セメント板。剛性の乏しいセメント板はアルミ押し出し材のフレームで4方を補強し、下地にアルミのボルトで固定されている。軽量なアルミ材はステンレスに比べ防錆に欠ける。今ではそれを払拭するために陽極酸化皮膜(アルマイト)処理を施すが、この時代のアルミには施されていない。しかしながら十分な肉厚を保持している部材は、強度に影響が出るような劣化は見られない。この辺の発想が実に素晴らしい。 さらにセメント板を馬目地で張り上げた外観は日本的な佇まいを呈しており、当時の先端技術と和なるもの(デザイン)の融合はまさに坂倉氏のパリ万博日本館に通ずるものを感じる。 平日ながら参観者も老若男女かなりの数。展示は写真、図版、模型など様々な素材で分かりやすく行われていた。特に写真は現存する建物においては今回再撮影したと聞く。戦後の日本の経済復興を見るような作品の中で、年配の方たちが比較的興味をもたれていたのは「東レ基礎研究所」。 公共施設や駅ビルは見学も可能だが、民間の基礎研究所ともなれば、そこは企業の心臓部。なかなか一般には見ることが出来ない。今回はその研究所の新たな写真や、外観模型が展示されていた。これも今回の展覧会が特別であって、今後一般に実際の見学は出来ないだろう。しばしそんな話を訪れていた初老の紳士と交わす。 回遊性と中庭を有した当美術館の良さは展示室の合間に外の景色や空気が味わえること。2階展示室から中庭の見下ろしでは、床の舗装パターン、セメント板、低層部の大谷石のテクスチャーが心地よいスケール感を生み出している。 1階に下りれば蓮池に面したテラス。あまりにお約束なピロティー空間スナップの一枚だが、本当に気持ちの良い空間である。束石の上に建てられた鉄骨柱は一見木造建築の納まりを彷彿とさせるが、実は鉄骨は地盤の基礎にしっかりとアンカーされている。束石はその足元を覆う意匠である。きめの細かいディティールはなかなかに玄人好み。 鎌倉を後にして、坂倉準三展第2会場である汐留へ。一路横須賀線で都心へ戻る。 汐留のパナソニックミュージアムで開催されているこちらは、鎌倉の展示が都市・建築に重きをおいているのに対して、住宅・家具といったものが作品展示のテーマとなっている。 坂倉作品の住宅の特徴として、一見外観は和風建築という作品が以外に多い。しかしよく見ると屋根のかけ方やインテリアにはきわめてモダンなデザインボキャブラリーが散りばめられている。これも見方によっては当時の施主(クライアント)の他人目線からの気持ちの代弁とも取れる。 一方で外観からは分からない平面型(プラン)は独特で、田の字プランからの脱却、中庭を有するプランなど、その特徴が伺える。後にコートハウスの名で特に関西では個人邸宅のスノビックな流行となる。 こちらの展覧会のキーワードのひとつは規格化デザインの歴史。 アノニマス、地場、民芸といったものに、デザイン、規格化、産業といったものが組み合わさり、今日のインダストリアルデザインへと向かってゆく、萌芽期の歴史そのものである。 そういう意味で建築・デザインといったものが他のファインアートと立ち位置を異とし、特に民間発注においては経済性との兼ね合い(折り合い)が必然的に生じ、それを包括したところにリアリティーのある時代作品が生まれていく・・といった、正に戦後経済復興の生き証人の数々を見た思いがした。 汐留にて観覧修了、17:00。秋の夕暮れ、その後の選択肢は新橋or銀座・・結局昭和通りを渡り、7丁目お多幸にて軽く食事。 その後は銀座D・ハートマンさんへ。早めの呑み始めが、中村社長とのお話はもとより、立原オーナーはじめお店のバーテンダーの皆さんとの会話も弾み、日付の変わる時間まで。こちらもピロティー写真同様、お約束か・・・
by hosoe1
| 2009-09-06 18:58
| 建築・インテリア・仕事
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